多様性、サスティナブルといった循環型社会へ向かう今、他者を尊重し寛容に受け止めるハートのツールとしてアートはより重要な役割を担いつつあります。その中で私たちは、明るい社会を想い描き「未来の今」を問い、活動しています。
子どもとは
おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない。
サン=テグジュペリの言葉を折に触れて思い出します。
こどもの頃、何を考えていたのか、感じていたのだろうか。
私たちは何かとても大切な落とし物をしてしまったような虚しさすら感じます。
子どもの世界と、大人の世界。
私たちはいつからか子どもの心を忘れていきます。しかし我が子との出逢いや子どもと関わる私たちには気づきのチャンスが与えられています。子どもの笑顔が指し示すもの。それこそが、人の幸せの在処を示してくれているのかもしれません。
私たちはそれぞれの命の輝きの核となるものを見守りながら、生きる喜びや幸せの源泉を辿るために、こどもと共に世界を観る視点や、育ち合う時間を大切にしています。
こどもアートの探究
未来は答えのない問いに満ちています。
自己肯定感を持ち、直観を信じ行動することは、未来に必要な人間力です。
このような自立心を備えるには、幼少期の想像や好奇心の根をどこまで伸ばしてあげられるかが問われます。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌をたがやすときです。
アメリカの生物学者レイチェル・カーソンの言葉です。彼女は子どもが生まれながらにもつ新鮮な感性のことを「センス・オブ・ワンダー」と呼んでいます。
こども時代は根を縦横無尽に伸ばす時期です。私たち大人は自由に伸ばそうとする好奇心の根を切ってしまいがちですが、それは同時に未来の可能性を断っているのかもしれません。
今、想像力と創造性を広げるための包括的な教育が求められています。それには大人が固定観念の枠の外へ向かう考え方、アート思考が必要になります。
こどもは世界の探究者、研究者。
こどもの声を聞き、共に世界を観る眼差しで、「こどもアート」の表現活動を探究していきたいと考えています。
レッジョ・エミリア・アプローチの探究
北イタリアの街レッジョ・エミリア。この街は戦後、二度と戦争を起こす事のない自由と権利を求め、街の未来の担い手である子どものために、市民の手でレンガを積み幼児学校を設立しました。
イタリアルネッサンス文化より継がれるアートを、教育の中心とし「子ども(人)とは何か」を、現在まで探究し続けています。
この取り組みはレッジョ・エミリア・アプローチと呼ばれています。
レッジョ・エミリア・アプローチは幼児学校にとどまらず、市、企業、園、親といったパートナーシップにより、子どもの未来を育み「子どもが街に何をできるか」という視点で、子どもの価値と権利を求めた街づくりへと発展し続けており、世界中に広く知られ視察も後を絶ちません。
子どもは社会で育つとの考えの下、企業廃材をストックしクリエイティブリユースとして活用するシステムも称賛されております。
この教育実践の活用事例として、スウェーデンの幼児教育システム、各国のインターナショナルスクール、Googleやディズニー社の社員専用園などでも拡がりをみせています。
日本での行政の取り組みとしては、香川県高松市の芸術士派遣事業を筆頭に、各地での活用事例が増えつつあります。
私たちは、この様な先進的な幼児教育の流れやアート思考の拡がりを捉え、「豊かさの本質」「ソウゾウの可能性」を求め取り組んでおります。
Lab Qrio代表 榎本 亜子