Lab Qrioについて
こども×アート×環境×学び。
Lab Qrioは、三島という土地の自然や歴史・素材・人をつなぎながら、
子どもも大人も、まちも一緒に育っていく“まちのラボ”です。
Philosophy|Lab Qrioの考え方
子ども、大人、地域、環境。すべてがつながって、はじめてLab Qrioの活動が立ち上がります。 そのベースにある5つの考え方をご紹介します。
子どもは生まれながらに、すでに素晴らしい。
どんな子どもも、最初から100の言葉を持っています。うまさや結果ではなく、その子が見ている世界ごと受け取るまなざしを大切にします。
大人もまた、学び直す存在。
先生や保護者が自分の「子ども心」を取り戻すことで、家庭や学校、職場、まちの空気がやわらかく変わっていきます。
素材は“自由になった資源”。
端材・陶器のかけら・海ごみなど、役目を終えたものたちを、新しい素材として再発見。価値観がひっくり返るような体験をデザインします。
まち全体が学びのフィールド。
川、商店街、海、工場、学校…。三島という土地にあるすべてが、子どもたちの“問い”の入口になります。
創造は、つながりから生まれる。
子ども×大人×地域×環境×文化が交わるところに、その土地ならではの学びとアートが生まれると考えています。
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「芸術は人間となるために必要なあらゆる経験であり、人間のあらゆる活動に含まれるような経験である。」
J. デューイ
2007年4月より芸術学部に「こども藝術学科」がスタートしました。2005年に開設された親子の「こども藝術大学」を礎石に、「こども」と「芸術」のかかわりをテーマとする人材育成が目的です。
学科を担うものとして大切にしたいことは、生物としてのヒトから社会的な人間になるという成長、発達、変化する過程へのまなざしと、それらにどのような価値や意味を生み出し、生成していくかというまなざしです。
それらのまなざしには、多くの課題が潜在しています。そして、それらのまなざしの気づきや形成にこそ、芸術活動や芸術教育に期待される大きな役割だということです。
「人間は外からこねくりあげられる粘土でも、何かを書き付けられる白紙でもない。植物のようにみずから上へ上へと伸びていくものです。曲げられてもやがて自律的に成長できるものなのです。」
ルソー
いま芸術は、才能ある特別な個人の営みから、すべての人へと開かれようとしています。
すでに18世紀に「こどもの理性」(『エミール』)としてルソーの言葉に込められたものは、「共通感覚」(中村雄二郎)といった人間誰もが持っている本来の能力であり、生物学的に持っている「才能」(L.モホリ=ナギ)にほかなりません。
そこには芸術行為や活動が、「生き生きと生きる」ということと直截的につながるという期待と意思が認められます。
こども藝術は、人間と芸術の誕生、起源、その発達や発生的なアプローチを基礎としています。
例えば、幼児のスクリブルというからだの動きやリズム、応答する外界との遊び、さらに偶然性や直感的な感覚作用と意識との間にズレて生じてくることなど、〈かたち〉と〈きもち〉の関わりを課題としています。
さらに芸術のジャンルを遡り、造形・音楽・身体表現・運動など、表現行為の起源・基礎を問題にします。
すでに100年ほど前にF.チゼックが児童美術の実践から発見したことは、こどもは独自な人格を持つ独立した存在だということです。
彼の有名な、
「こどもたち自身によって成長させ、発展させ、成熟させよ」
という言葉には、こどもに内在する能力や才能の創造性が裏打ちされています。
ここには、自主性や能動性といった、自ら学び獲得していくモチベーションや力を、どのように引き出せるのかという課題が見えてきます。
芸術という個別で特殊な表現技術の課題・価値観から、感じ・おもい・つながるというコミュニケーションの課題・価値観へと大きく拡がろうとしています。
それは、誰もが分かり合えるイメージやかたちに迎合し倣い従うことではなく、違いや差異があるからこそコミュニケーションが生まれてくるということでしょうか。
そこには、人が生きているという〈存在〉自体の価値や、〈あること〉、〈なること〉自体の意味を明らかにしようとする芸術の営みが、いま切実に求められてきているからだと思います。